押上ファースト歯科03-5819-4825予約・相談
白い木の台に広げた古い無地の巻物と、一本の筆、小さな白磁の水差し。窓からの自然光と観葉植物

抜歯の歴史
「歯の虫」退治から、鉗子の進化まで

むし歯の痛みは、歯の中にすむ「虫」のせい。そう信じられていた時代が、4,000年近く続きました。虫を追い出す薫蒸から、抜歯鉗子が今の形になるまでの話です。

①今日のTIPS
歯の痛みは「虫」のせいだった

古代バビロニアから平安時代の日本まで、歯の痛みの原因は「歯を食う虫」だと考えられていました。

白い木の台に広げた古い無地の巻物と、一本の筆、小さな白磁の水差し。窓からの自然光と観葉植物
平安時代の医学書『医心方』にも、「歯の虫」の姿が記されていました(巻物はイメージ)

紀元前2000年ごろの古代バビロニアでは、むし歯の痛みは「歯を食う虫」が起こすと考えられていました。治療は、神に虫祓いの呪文を3度唱えることから始まりました [1]。

この考えは東へ伝わります。中国では殷の甲骨文に「歯を病むのは虫か」と占った記録があり、隋の医学書にも「牙歯虫」の項目があります [1]。

『医心方』に書かれた虫の姿

984年、丹波康頼がまとめた『医心方』(いしんぽう。日本に現存する最も古い医学書)も、この説を受け継ぎました。「虫の長さは六、七分、頭は皆黒い」と、形まで記されています [1][2]。

長谷川(1992)は、根の中で炎症を起こした歯の神経(歯髄)を、虫と見まちがえたのだろうと推測しています [1]。

②当時の治療
ヒヨスの実と、虫を追い出す煙

呪文のあとにヒヨスの実と乳香を詰め、中世には煙で虫を追い出そうとしました。
理にかなった面もありました。

白い皿に盛った乾いた植物の実と、細い煙が立ちのぼる小さな素焼きの香炉、乳香の粒の静物
ヒヨスの実と乳香。燻した煙で「虫」を追い出そうとしました

呪文のあとは、ヒヨスの実と乳香を混ぜて穴に詰めました。どちらにも感覚を鈍らせる作用があり、長谷川(1992)は「今から考えても合理的」と評しています [1]。

中世ヨーロッパでは、穴に乳香・硫黄・樟脳などを詰めたあと、ニラやネギを燻した煙で虫退治をしました。ヒヨスの実を燻す「薫蒸(くんじょう)」も行われました [1]。

煙から落ちた「虫」の正体

転機は1757年。牧師のファッフェルが、薫蒸のあとに落ちてくる「虫」は、燻したヒヨスの実の種そのものだと実証しました。フォシャールも顕微鏡で探して「虫は見つからない」と書いています [1]。

「歯の虫」説のおわりまで:およそ4,000年の流れ

年できごと
前2000年ごろバビロニア。虫祓いの呪文とヒヨスの実
984年『医心方』。虫の長さと色まで記す
1757年ファッフェル。落ちた「虫」はヒヨスの種と実証
1883年ミラー。酸と細菌がむし歯をつくると説く
1924年クラークがミュータンス菌を分離
年号は長谷川正康『歯科の歴史おもしろ読本』(1992)による。

1883年にW.D.ミラーが「酸なしにむし歯なし」と唱え、1924年にクラークがミュータンス菌を分離します。虫は、酸と細菌に置き換わりました [1]。

③抜歯は「職人」の仕事だった
道具の進化

近代まで抜歯は歯抜き職人の仕事で、道具は歯ぐきや骨を傷めました。
1841年、トームスが鉗子の形を決めました。

白い布の上に、古い歯鍵、木の握りの古い鉄の鉗子、20世紀前半のステンレスの鉗子、現代の抜歯鉗子が左から右へ並んだ静物
左から右へ。歯鍵から、歯ごとに形の違う現代の鉗子まで

歯を抜くのは、近代まで医師の仕事ではありませんでした。「歯抜き職人」や香具師、髪を切るついでに歯も抜く「理髪外科医」の領分だったのです [1]。

19世紀前半の4つの道具

  • ペリカン:鳥のくちばしのような形で、歯をてこの力で引き上げる
  • 歯鍵(キー):鍵を回すように歯をねじり上げる
  • 抜歯鉗子(かんし):歯をつかんで抜く、はさみのような形の器具
  • エレベーター:歯と骨のすきまに差し込んで、歯を持ち上げる

前の2つは力の向きが歯の軸と合わず、歯ぐきと骨を傷つけやすかったと記されています [1]。

1841年、鉗子が今の形になる

1841年、英国のトームスが「鉗子は抜く歯の形に合い、力は歯根の軸に沿って働くべきだ」と唱え、歯ごとに形の違う鉗子を作りました。歯の頭を壊さずに抜けるようになり、鉗子は現在の形になりました [1]。

④なぜ「抜く」から「残す」へ変わったか

レントゲンと局所麻酔が、抜くしかなかった歯を残す道を開きました。
むし歯の原因が分かったことも大きな転機です。

1895年11月、レントゲンがX線を発見します。翌年2月には、早くも歯のX線撮影が行われました。見えなかった根の先が見えるようになり、局所麻酔とあわせて、「抜くしかなかった歯」を残す道が開けたのです [1]。

もうひとつの転機は、原因が「虫」から「酸と細菌」に変わったことです。原因が分かれば、抜く前に防ぐ・削って詰める・神経を残す、という選択肢が生まれます [1]。

⑤今の治療ではこうなっています

今日のむし歯治療は、虫ではなく酸と細菌を相手にしています。
抜く前に、残す方法から考えるのが基本です。

明るい診療室の白いトレーに、滅菌パックから出した清潔なミラー・ピンセット・探針と、現代の抜歯鉗子、紙コップが並ぶ
今の診療室の器具トレー。鉗子を手にするのは、残せないと判断したあとです

むし歯の原因は、歯の中の虫ではなく、細菌がつくる酸です。だから今の治療は、酸を出す細菌の汚れを減らし、溶けた部分を削って詰め、神経を残せるかを見きわめるところから始まります。

抜歯鉗子は、トームスの考えのまま、歯ごとに形の違うものを使い分けます。ただし鉗子を手にするのは、ほかの方法では残せないと判断したあとです。

4,000年近く信じられた「歯の虫」。その退治に使われたヒヨスの実には、痛みを和らげる作用がありました。昔の人の工夫を知ると、少し親しみがわいてきます。

参考文献(2件)
  1. 長谷川正康『歯科の歴史おもしろ読本』クインテッセンス出版、1992年。第II部 第1章「歯内治療は歯虫退治から」、第2章「抜歯に始まる口腔外科」
  2. 丹波康頼『医心方』(984年)。歯虫の記述は長谷川(1992)第1章が引くもの
歯科TIPSのページに戻る歯科TIPS の一覧

あわせて読む