①「生え替わるから」で済まされていた時代
乳歯の治療が専門として確立したのは20世紀初めのアメリカ。
それ以前にも、乳歯を守れと説いた人はいました。

乳歯はいずれ抜けて、永久歯に替わります。だから、痛くなったら抜けばよい。そんな考え方が長く続きました。小児歯科という専門分野が生まれたのは、20世紀に入ってからのことです[1]。
18世紀にもいた、乳歯を守れと言った人
18世紀フランスの歯科医フォシャールは、著書『外科歯科医』で乳歯の処置に触れています。どうしても必要でない限り乳歯を抜くな、というのがその趣旨です[1]。
子どものあごの骨は薄く、乳歯の根はしっかり植わっている。無理に抜けば、下で育っている永久歯を傷つける。今の考え方と重なる忠告でした[1]。
「近世小児歯科の父」
1899年、アメリカのC.N.ジョンソンは「永久歯を守るには、3〜4歳の乳歯の治療をおろそかにできない」と説きました。長谷川(1992)はこの人を近世小児歯科の父と紹介しています[1]。
1909年には女性歯科医M.E.ジョルダンが、顧みられることの少なかった子どもの患者を専門に診はじめます[1]。
②実業家の寄付が、子どもの診療所をつくった
1910年、ボストンの実業家フォーサイスが児童歯科診療所を設立。
大学の講座と学会がこれに続きました。

転機は1910年のボストンでした。実業家フォーサイスが150万ドルを寄付し、児童歯科診療所を設立します。16歳未満の、収入の少ない家庭の子どもを奉仕的に治療する施設でした[1]。
診療所には歯科衛生士の学校(1912年、フォーンズ)や、矯正の補習学校も併設されました。子どもの歯を診ることが、予防や矯正とひとつながりになっていたのです[1]。
寄付から、学問へ
1915年にはコダック社の社長イーストマン、1929年にはグッゲンハイムも児童診療所をつくりました。1918年には、ノースウェスタン大学で初めて小児歯科の講座が開かれます[1]。
1927年、アメリカ歯科医師会は小児歯科の正式名称として「pedodontia(ペドドンティア。小児歯科学の意)」を採用。1940年にはアメリカ小児歯科学会が発足しました[1]。
小児歯科が専門分野になるまで(アメリカの年表)
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1899年 | ジョンソンが乳歯の治療の大切さを説く |
| 1910年 | フォーサイスが児童歯科診療所を設立 |
| 1912年 | フォーンズの歯科衛生士学校 |
| 1918年 | ノースウェスタン大学に初の小児歯科の講座 |
| 1927年 | 正式名称 pedodontia を採用 |
| 1940年 | アメリカ小児歯科学会が発足 |
③日本の小児歯科
江戸の専門書から、学校の検診へ
日本には江戸時代の小児歯科の専門書があり、明治には学童の歯科検診が始まりました。
大学の講座は1956年です。

日本に目を向けると、江戸時代の口中科(こうちゅうか。歯と口の病を診た当時の医術)に、小児歯科の専門書『口科秘嚢(こうかひのう)』(1762年)がありました[1]。
学校から始まった、子どもの歯の予防
1890(明治23)年に初めての学童歯科検診が行われ、1901年には東京に学校歯科医が置かれます。1920年には「ムシ歯予防デー」が始まりました[1]。
1921年には、フォーサイスの診療所を見習ったライオン児童歯科院が開かれ、歯科衛生婦の養成も行われました(1937年まで)[1]。
大学に初めて小児歯科学の講座ができたのは、1956年の東京医科歯科大学。アメリカから約40年遅れてのことでした[1]。
④「抜く」から「育てる」へ
今の小児歯科
小児歯科は、乳歯の治療から、成長の見守り、心のケア、予防へと広がりました。
今は歯が生える前から相談できます。

長谷川(1992)が引く深田英朗は、小児歯科の発展を次の流れでまとめています[1]。
- 乳歯に合った治療
- 成長発育を含めた、予防矯正的な配慮
- 子どもの心理と行動のマネジメント
- むし歯の予防
「痛くなったら抜く」から「育ちを見守る」へ。フォシャールが説いた乳歯を安易に抜かないという考えは、300年近くを経て、専門分野の土台になりました。
今の治療ではこうなっています
今の小児歯科では、乳歯はできる限り残し、永久歯が正しい位置に生えるための場所を守ることを大切にしています。フッ素塗布やシーラントなど、予防の方法もあります。
小さなお子さんは、椅子に座る練習やお口を見せる練習から始めることもあります。歯が生える前の赤ちゃんの親御さんや、妊娠中の方のご相談も受けています。詳しくは小児歯科のページをご覧ください。
参考文献(1件)
- 長谷川正康『歯科の歴史おもしろ読本』クインテッセンス出版、1992年。第6章「米国で発展した小児歯科」(p.163-167)。本章が引くフォシャール『外科歯科医』、深田英朗の記述を含む
