残っている歯を「守る」ための治療
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「少年老いやすく、学なり難し」という言葉を聞かれたことがあるでしょうか。
学ぼう学ぼうと思っているうちに、いつのまにか年を重ね、
気づけば学ぶ機会そのものが限られてしまう。
だからこそ「思った時に始めることが大切だ」という戒めの言葉です。
学生の頃は、いやおうなく学びの機会が与えられていましたが、
社会に出てからは「もう学びは必要ない」と感じてしまう人も少なくありません。
「般若心経秘鍵」というお経の中にはこんな一節があります。
「医王の目には途に触れてみな薬なり。
解宝(げほう)の人は鉱石を宝と見る。
知ると知らざると、誰ぞか罪過(ざいか)ぞ。」
これは「医学の知識を持つ人には、道端の草が薬草として見える。
鉱石を見分けられる人には、ただの石に見えるものも宝だとわかる。
結局、知っていることと知らないことでは見える世界がまったく違ってしまうのだが、
それを誰のせいにできるだろうか」という意味です。
この言葉は、歯科医師である私にとっても深く響きます。
例えば、歯ぐきからのわずかな出血。
多くの方にとっては「ちょっとしたこと」かもしれません。
ですが、歯科の知識を持つ者にとっては「歯周病の初期症状かもしれない」という重要なサインとなります。虫歯の小さな黒ずみも「たいしたことはない」と思われがちですが、実際には進行性であり、放置すれば歯を失うリスクにつながる場合があります。
つまり「知ること」が健康を守る第一歩になるのです。
仏教には「五眼(ごげん)」という教えがあります。
肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼。
この五つの眼は、修行を積むごとにものの見え方が広がっていくことを示しています。
私たちの日常も同じで、知識や経験を重ねることで、見えるものの解像度が高まっていきますよね。
私たちが、歯科医師という「眼」で見ると、患者さん自身では気づけないリスクや可能性が見えてきます。そして、その気づきを患者さんと共有することで「学び」が生まれ、行動が変わり、未来の健康が守られていくのです。
では、学びとは何でしょうか?
必ずしも特別な教育や専門的な書物を指すわけではありません。
むしろ、毎日の小さな習慣の変化こそが学びです。
たとえば、歯ブラシだけで済ませていたケアにデンタルフロスを加えてみる。
水だけのうがいではなく、寝る前にフッ素入りの洗口液を使ってみる。
検診を「痛くなったとき」ではなく「半年に一度」と決めて通ってみる。
これらは大げさなことではありませんが、心の学び・体の学びとしてとても大きな意味を持ちます。
「般若心経秘鍵」の言葉は、こうした小さな積み重ねの大切さを教えているのではないでしょうか。
知らないままでいると、ただの草は草でしかなく、ただの石は石でしかない。
けれども、知って実践してみれば、それは薬となり、宝に変わるのです。
小さな習慣の変化は、まるで種をまくようなものだと思います。
まいた種は、すぐに芽が出るものもあれば、時間をかけて芽吹くものもあるでしょう。
歯科治療でも「今やったことがすぐに結果として見える」場合と、
「数年後にその効果がはっきり現れる」場合とがあります。
例えば、今の段階で虫歯を小さいうちに治すことは、
10年後に大きな治療をしなくて済むことにつながりますし、
若いうちから歯周病予防を始めれば、
年齢を重ねても自分の歯で食事を楽しめる未来につながっていきます。
学びは「明日やろう」と思えば先送りになり、
気づけば大切な機会を逃してしまいます。
だからこそ、思い立った今こそが始めどきです。
「ありがとう」と口にしてみること。
夜の歯みがきを少し丁寧にすること。
次の検診を予約してみること。
そうした一つひとつが、
未来の健康と笑顔を支える学びになるのではないでしょうか。
「これまでの自分だったら結果も考えずに突っ走っていたけれど、
今は全体像が見えるようになってきた!」
そんなふうに思える日が、意外と近いのかもしれません。
学びとは大きな決意や難しいことではなく、
小さな一歩を繰り返すこと。
その積み重ねが、草を薬に、石を宝に変える力になると、
私は思います。
もし今、心のどこかで「何かを変えたい」と感じているなら、
ほんの小さな行動から始めてみませんか?
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